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シモキタボイス シンポジウムの記録

【Symposium4】 8月14日(火)16:30-18:00

「文化と生活と街と・下北沢」――歴史が生む磁場

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下北沢と映画

大木 : 次は廣木隆一さん、映画監督です。作品は『バイブレーター』『やわらかい生活』、そしていま控えているのは『M』という作品です。ではどうぞ。

会場風景

廣木 : 僕はこれから下北沢で映画を撮ろうと思っているので、この場所に呼ばれたんだと思います。下北沢は音楽と演劇のイメージが強くて、映画は遠いと感じています。僕はピンク映画の助監督のとき新宿にいて、80年代に監督になってからシモキタに移り、インディーズのミュージシャン、役者と交流しました。吉見さんがおっしゃったように、シモキタがいいことはわかっているのにどうして行政に届かないのかという気がしています。シモキタでロケを今までしなかったのは、撮影しにくい場所だということがありました。人は多いし、車は入れない。僕がこれから撮ろうとしている映画は、中心からちょっと外れた生活感のある場所や風景です。そこからいろいろな店が集まっているところまでの距離感を映画に出来たらと思っています。オープニングは、井の頭線で渋谷から来る方向で下北沢を見る風景にしようと、今思いました。

大木 : 即興発言ですね。次は、下北沢で唯一に近い映画館である「シネマアートン下北沢」の支配人の岩本さんです。

会場風景

岩本 : 1998年に「シネマ下北沢」として発足して、2004年に経営者が変わって名前を変えてスタートを切った、まだ4年目の映画館です。シモキタの文化の歴史の中では、まだ浅い場所です。日々映画を上映していますと、いろいろな人が来ます。週刊誌では「若い人の街」と言われていてお客さんにも確かに若い人が多いけれど、若い人から年配の方、地方からいらっしゃる方もいます。ですから、まだまだ映画は定着していませんが、何とか続けて上映していきたいと思っています。

大木 : 下北沢というのは「文士町」があって、その文士が原作を提供した映画があって、今は演劇と音楽の街というイメージになっています。映画はまだ定着していないと岩本さんは言いましたが、かつては映画のほうが定着していて、演劇の「え」の字もなかったわけです(笑)。ただし演劇人、映画人、文士、詩人、写真家、画家は累々と住んでいた。そういった街が今日も続いているがゆえに、僕らはひきつけられている。ですが、行政が行おうとする道路計画・再開発が地に培われているもの、エナジーを掘り起こすとその磁場は解体され途絶えてしまう。ただし利便性といったものまで一切排除するわけにはいきません。そこはどうするのか。残すべきものと変革していかなければならないものがあります。

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