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【Symposium5】 8月14日(火)16:30-18:00
海外の目で見た“SHIMOKITAZAWA” ―― そのユニークさと魅力について
●パネリスト
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ピーター・バラカン : イギリス出身。1951年生まれ。ブロードキャスター。「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK FM)、「バラカン・ビート」(インターネットラジオOTONaMazu)などを担当。著書に「僕が愛するロック名盤240」(講談社)などがある。
ママドゥ・ディオップ : セネガル出身。下北沢一番街の雑貨shop「JAMMREKK」のオーナー。 ウダイ・タマン : ネパール出身。CMモデルとして活動、下北沢のクレープshop「りり庵」のスタッフ。 ノア・ガルシア : フランス出身。1980年生まれ。音楽監督。日本の音楽シーンに関するドキュメンタリーの制作に関わっている。世田谷区大原(下北沢)在住。
●司会
木村 和穂 : 大学院生、「セイブ・ザ・下北沢」スタッフ
神宮 仁 : 「ル・グラン・テカール」オーナー、「下北沢商業者協議会」世話人 趣旨世界的にも有名なこの小さな街の出来事を、 いったいぜんたいこんな馬鹿げた計画はどこから?だれからでたんだろう? 下北沢にも沢山の外国人が生活している。彼らも自分で選んでこの街に引っ越してきた住民だ。 一緒に楽しく生活するためにアイデアを出し合って話す事って大切な事ではないかと思います。 (神宮) シンポジウムこの街との関わり、この計画について思う所![]() ノア・ガルシア : 日本に来て下北沢に住み始めて、5年ほど経ちます。僕はフランスで生まれ育ちましたが、母が日本人でした。でも日本に住み始めた頃は、まだ日本語を覚えていませんでした。下北沢にたまたま遊びに来るようになり、あんまり日本語を喋れなくても喋りやすくてコミュニケーションが出来る相手が、下北沢にしか出来なくて。そんな下北沢は楽しいなって思って、住み始める事にしたんです。 ママドゥ・ディオップ : 9年前に、日本に来ました。下北沢には年に一度くらい遊びに来ていました。古くて良い街だと思います。2年ほど前から奥さんと一緒に、店を出す場所を探し始めました。とにかく下北沢は若い人がとてもいろいろなことに興味を持っていて、小さな店や路地が多い。アフリカの文化の魅力は一緒に混ざり合うことなので、日本で店を出す時には、下北沢なら上手くいく様に思い、下北沢に店をオープンしました。 ピーター・バラカン : ロンドンに生まれ育ち、74年に東京に来ました。僕は音楽に気狂いだから音楽の仕事で来たんですけど、まだ当時はステレオも持ってなかった。音楽を聴く事が出来なくて、会社の仲間と毎晩の様に、良い音楽を聴かせてくれるところを渡り歩いていました。その頃ちょうどブルースが日本でもブームになっていて、そういう音楽をお酒を飲みながら聴ける店は、住んだ事はないけど大体下北沢か池袋だったんです。 ウダイ・タマン : 3年前に、日本に来ました。今は道路計画の事もあって「ナンステーション」はやめて、クレープ屋(「りり庵」)をやっています。下北沢という街は、ネパールのハメイユという街ととても似ているので、下北沢に住んでいると、自分の国に住んでいる様な気になります。どこに行っても知り合いに会いますし。 木村 : ウダイ君の前の店は道路の計画地の中に入っていた訳ですよね。 ウダイ : そうです。 木村 : ママドゥさんのお店は一番街の上の方にありますけど、あそこは道路が出来てしまうと駅の方とは分断されてしまうんですよね。 ママドゥ : でも私にしてみれば、何も知らない間に決められた話なんです。 |
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