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【SHIMOKITA ART LIVE】 8月14日(火)19:30-22:00
『路地へ―中上健次の残したフィルム』 アフタートーク青山真治監督 × 大木雄高(Lady Jane)大木 : 青山監督が『路地へ』を上映するにあたってしたためた言葉を紹介します。「中上はかつて『路地はどこにでもある。俺はどこにもいない』という謎の言葉を呟いた。今その意味を曲解すれば、世界の至る所に『路地』と同様の宇宙はあり、自分はその間を常に移動し続けている、と読むことができる。この『ある』ということと『移動』の交差こそ、小説家・中上健次の基本的な運動姿勢かもしれない。しかしそれは現在われわれが作ろうとする映画そのものとあまりに似ていはしまいか。」では、青山監督、どうぞ。 (青山監督、登場)「映像が残っているからいいじゃない」、と思ってほしくない大木 : 中上が意味した路地は被差別部落における路地であり、今回開発で問題となっている下北沢の路地とはおのずと違うわけですが、青山監督は「中上健次がいなかったら、あるいは九州で起こったバス大量殺人事件の記憶がなかったら映画を撮っていなかったかも知れない」と語っています。そこらへんから下北沢の路地とを交差させて話を進めたいと思っています。 青山 : まず、この映画は今日ここで上映されるべきではないと本当は思っていたのです。路地は失われても映像が残っているのでそれを観ていればいいじゃない、と思ってしまわれるのが嫌だなと思ったからです。 大木 : ありがとうございました。紀州の被差別部落で育った中上健次が撮ったフィルムを使った映画ですが、同じ紀州出身の井土紀州さんに道案内をさせるわけですよね。そこで、中上健次のフィルムが流れるとき、路地の花や木や風が息づいているのが伝わってくる。それを感知すると、切なくなってきます。そういう中上の悲哀を五体で受け止めた青山の路地への慈愛を込めたドキュメンタリーだと思います。 |
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