【SHIMOKITA ART LIVE】 8月14日(火)19:30-22:00
『路地へ―中上健次の残したフィルム』 アフタートーク青山 : とはいえ、映像というものは、これが残っているから皆我慢しなさいという言い訳に使われることがある。「こんなことがあったんだよ」と、「二十世紀の映像」なんかが残っていると、必ず言い訳に使われたり、それを使ってなだめすかされたりする場合がよくあるんです。映画に出てきた料理屋のおばあちゃんが『兄妹心中』を歌うシーンがあるけれど、あれを聴くと「とんでもないことではなかろうか」という気になるんですね。映像に対する音楽の強みだと思ってしまう。 大木 : だからこそ、今日はあえて上映のあと、大友良英さんに音楽を演奏してもらったんですよ。 青山 : さっき楽屋で、大友さんと喋っていたんですが、水木しげるさんが戦争中に部隊にいて、玉砕に向かう直前に歌う歌があるんですね。それがまたすごい曲で、『兄妹心中』と通じるものがある娼婦の歌なんです。大友さんは採譜するために水木さんに歌ってもらったんだけど、途中で止まったんですって。なぜって、覚えていないから。でもその曲は、水木さんしか知らない歌だった。新宮の街の中で、『兄弟心中』を覚えている人もあのおばあちゃんだけだった。でも、このおばあちゃんも?「覚えていない?」と言って、途中で止まってしまうんです。 大木 : 青山監督の言葉で急に思い出したエピソードですが、大野一雄さんという老大家の舞踏家がまだ二本足で立たれている頃、ある写真家が韓国で踊っている大野さんを追いかけていた。写真家が撮っていると途中で何か唸り声が聞こえてきたので、「カメラを持っている場合じゃない!」と言ってカメラを放り投げて接近した。すると、戦前のマニラ戦線かどこかでの戦争体験を呪文のように唱えて踊っていたそうです。容易ならざるものを感じた、というエッセイを読みました。 青山 : 録音はされてなかったんですよね。 大木 : 出来なかったそうです。 青山 : そういうものは撮り逃すものなんです。映画は常に遅刻するっていう決まりがある、やろうとした時はそれはもうない。『路地へ』のときも、すごい格好いい大きな鳥が川の上を通過していたので指差してあわててたら、カメラマンの田村正毅さんは微動だにせず悠然と空を見上げてばかりいた。「うん、映画はいつも間に合わないよ」と言った(笑)。そうなんだけどさ!少しは撮るふりでもすりゃあいいじゃん。だから、それでも間に合わせた中上は凄いと思う。その歌も中上が残したかっただろうなと思って、僕が記録に残しました。 大木 : 1992年8月12日が中上の命日だけど、その直後に紀州行きのバスに乗ったわけですね。 青山 : まだ死ぬなんて思っていなかったんです。映画の計画は練っていたのですが、死んだと聞いてショックで中止までも考えました。けれど行きました。 大木 : また遅かったってことですね。 青山 : そうです。常に遅刻しつづける男、青山真治です(笑)。 |
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