【SHIMOKITA ART LIVE】 8月14日(火)19:30-22:00
『路地へ―中上健次の残したフィルム』 アフタートークストリートの混沌と、表現すること大木 : それでは、「俺も出せよ!」と言っている男を呼びたいと思います。大友良英さんです。 大友 : こんにちは。「出せよ!」なんて言ってないですよ(笑)。 大木 : さっき水木しげるさんのことを青山さんは喋りましたが、僕は僕で『青い凧』のテーマを聞きつつ、文化大革命のことを、文化人が追放されたり、壊されていく胡同という路地のことを思い出していました。 大友 : ここ(ザ・スズナリ)もなくなるんですか? 大木 : ここは計画道路に入っています。 大友 : 大木さんが頑張ればなくならないとか? 大木 : 大友さんがいくら爆音でやっても、行政や産業はなかなか…。 大友 : そんなんで変えられるんならいくらでもやりますよ!(笑) 大木 : リトルボーイを乗っけてエノラ・ゲイから落とすとか、敵は色々なやり方を持ってるじゃない。それに音楽で対抗するドンキホーテになるとかさ。 青山 : 近藤等則さんとNHKの番組を新宮で作ったとき、?「ゆくゆくは大晦日に都庁の屋上で吹く?」と言っていました。 大木 : 近藤等則といえば、彼がマチュピチュに行ったとき大きな音響機材を持ち込んだら、「聖なる地を汚すのか」とインディオに顰蹙を買ったけれど、演奏したそうです。 青山 : その番組は参考までに見ました。マチュピチュは酸素も薄いから、「そんなところでよく吹けましたね」と言ったら、近藤さんは、「他のやつはくたばっていたけどオレは吹けた」と言ってました。だから都庁の上でも吹けるんじゃないかな。大友さんをヘリコプターに吊って…。 大友 : いやいや、動物ワクワクランドじゃないんだから、もっと地味に…。 大木 : 都庁といえば大友さんが数日前にブログで、「この石原都政!」って憎しみこめた文章を書いたんですよね。都庁はあんなふうに建てればいいけれど、下北沢をいじる話は困ってしまいますよ。そこで生きている人の笑顔とかも壊してしまう。 青山 : このことは知っていましたし変なことだな、と思ってもいたけど、今までコミットする気になっていけなかった。『東京から考える』という批評家の東浩紀さんと社会学者の北田暁大さんの対談集の中で「サブカルチャーがある下北沢を残そう!というのに共感できない」とか「ある種のノスタルジーに乗っかるのも共感できない」とか言っていたりして、またそれに対抗する言説もあるのを知っている。けれど、僕はそのどちらにもはまっていけないと思っていました。 大木 : 昼間のシンポジウムで吉見俊哉さんが、1968年に唐十郎が「浅草ロックには背景があるけれど、新宿には背景はない」と言ったということを、今の下北沢を語るのに紹介していました。実際に下北沢に住んでいても、それは通過地点かもしれない。不在と実在との行き交いというか、不在の不快さ、実在の不快さというものがあって、人間はうごめいていく。縦糸と横糸のクロッシングのせめぎあいから絵が生まれたり詩が生まれたり映画が生まれたりするのではないかと思う。サブカルってことではなくて、風俗が生まれる。 青山 : サブカルという言葉はピンとこない。その風俗を小説家なら描写したい、音楽家ならバーっと出したいという欲望があるはずですよ。それは平板な壁や真っ平の道じゃない。登ったり降りたり、階段があったり、電柱、電線がぐちゃぐちゃしているところからそれは生まれるんです。 大木 : 下北沢の路地はよく迷うと言われます。そういうところだから隙があって、人は隠れることもできるし顕在化することもできる。 青山 : 街をつぶすって行為は自殺行為ですよ。東京都民なら東京都民にとって。そこでわれわれは描写しようとするのは自分自身だからです。複雑に見え隠れしていて、描こうとしている、探そうとしているものは自分自身です。で、それが同時に他人でもあるわけです。 |
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