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シモキタボイス シンポジウムの記録

【Symposium4】 8月14日(火)16:30-18:00

「文化と生活と街と・下北沢」――歴史が生む磁場

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街の人たちの意識の変化が、街を根底から変えてしまう

大木 : では次に、東京大学大学院情報学環長の吉見俊哉さんです。

吉見 : 先ほどのシンポは大変面白く、昔のことを思い出していました。実は70年代後半、僕は演劇青年でこのスズナリには数え切れないくらい通った記憶があります。60年代の終わりに唐十郎さんが書いた小さな文章を思い出しました。「浅草オペラが栄えた浅草ロックには背景があった。しかし今自分たち、赤テントがやっているこの新宿には背景がない。」
 この「背景がある/ない」というのはどういうことかというと、自分たちがやっている演劇が街や街の路地、街に住んでいる人とつながっているのかいないのかという違いだと思います。おそらく今、下北沢には背景があるんですよ。新宿のその後ですが、60年代はカウンターカルチャー、若者文化が栄えましたが、70年代に入るとこの街には背景がない上に道路が作られ、西口には超高層ビルが建ち、西口の淀橋浄水場跡地の再開発が進み、大学は郊外へと移転しました。これで新宿の文化は壊れてしまった。この文化は高円寺、吉祥寺、下北沢へ移っていきますが、肝心なのは西口の再開発のあとの新宿の街の人たちの意識の変化です。これは、下北沢再開発問題の最悪のシナリオを考えるときとっても重要だと思うんです。高い建物が建つことで街の文化が壊れていくということはもちろんある。
 70年代に入って新宿の地価が銀座を抜きます。超高層ビルの街になると、新宿の街の人たちは、自分たちの街も「一流の街」になることを目指すようになった。そのためにはきれいでおしゃれでなくてはならないから、汚らしいもの、フーテンや全学連などの人たちを排除しようという意識を街の人たちが持ち始めた。これは危険なことなんです。街の人たちの意識の変化が、街を根底から変えていってしまう。下北沢を「補助54号線」が分断し壊してしまう、これはとっても重要です。しかし恐ろしいのは、再開発後、商店街の人たちの意識が変わっていってしまうことです。いや、すでに変わっている部分もあるかもしれない。このように、地域の人たちの意識の変化を考えたい。
 それからもう一つ、下北沢の問題は文化と政治の関係の問題なんですね。下北沢の文化的な価値や意味はさんざん語られているし、私もこういったシンポジウムに何度か出ましたが、みんな下北沢の魅力を語ります。魅力がわかっている人がたくさんいても、政策決定には届かないんです。区長選も結局は勝利できない。区という行政単位が大きすぎて、地域の声が届かない。あるいは、「この地域の住民とは誰か?」ということを考えたとき、地権者と住民とのあいだにはズレがある。あるいは、街を守ろうとする人たちが、どこで意思決定に介入していくことが出来るのかさっぱり見えない。回路が閉ざされている。このように、「文化的な魅力を語ることが政治的な力にならないのはどうしてなのか?」ということを考えたいと思います。

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