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シモキタボイス シンポジウムの記録

【Symposium4】 8月14日(火)16:30-18:00

「文化と生活と街と・下北沢」――歴史が生む磁場

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会場から

会場(男性) : 「Save the 下北沢」の金子です。きむらさんの「エックス」消失の話はおもしろかったです。踏み切りでのコミュニティって、確実にあるんですよ。毎朝子供を送りに幼稚園まで行く途中で踏み切りを待っていると、いつも会うおばさんとかがいるんです。それに、下北沢の人って待ち合わせしてもルーズなのは、踏み切りがあって、むこうがわにいくまでにどれくらい時間がかかるかわからないから(笑)。
 小田急線が地下になって、これがなくなってシステマティックに動けるとなると、人の付き合いが切れてしまったり変わってしまう可能性があると思います。だから、小田急線の線路の跡地を利用して、どれだけゆるやかに人をつなぐ場所を作れるかが勝負だと思っています。ところで、廣木さんは下北沢では映画は撮っていないと言いましたが、映画にあっていない街なのですか?

廣木 : それは全然違います。撮りにくいのは単純に、撮影の効率が悪いという問題だけです。

金子 : では方法を変えて、下北沢らしい映画を撮ることはありえますか?

廣木 : 全然あります。『ざわざわ下北沢』を見たときに、並行移動しながら歩いてお店を撮っていて、「歩いて撮る」という市川さんの撮り方はすごいなーと思いました。

金子 : 街にとって危険なのは、私のような子育て層が定着しない地盤になっていることです。若者のワンルームマンションばっかり建てられていてたくさん住んでいる。おじいさんとおばあさんはたくさんいるんですが、僕らのような子育て世代がごっそり抜けているんです。シネコンはだめだという話がありましたけれど、実をいうと映画を見るとき僕ら子育て世代にとって一番ネックになるのは、子供をどうするんだ、ということです。子供を預かってくれるような映画館があったらとっても行きたい気分になると思います。

岩本 : いろいろな映画館があったほうが、映画館自体が特色を出していこうとするのでいい状況は生まれると思います。

大木 : では、小田急線跡地に「シネマアートン下北沢」を上回るような映画館を作りましょうよ。監督、協力お願いします。ただしシネコンではなく単館をね…。アメリカの呪縛を今更ながら買いに行こうと思わないんでね。さきほどのシンポで、下北沢は演劇の街だという話がありました。それに対抗するわけではないんですが、このシンポでは僕らは「文士町」から始まる歴史が作る磁場の話をしました。国際的な演劇祭や映画祭を下北沢でもやれたらいいという話がありました。物理的にはむずかしい。ですが感情としては、下北沢は可能性が一番あると僕らは思っています。演劇人とも一緒に討議して、実現することに向かって語り合っていけたらいいなと思います。

◆司会者の感想

2007年8月を記憶する。

シンポジウムで喋べることはライブだと思っている。与えられた又は自ら選んだ本を読むことではないのだから。私はジャズ・バーのオーナーだが、その伝で言えば、サックスの巨星エリック・ドルフィが言った言葉に「一度空気中に出てしまった音は二度と戻っては来ない」という有名なフレーズがある。即興の極意を会得した人の言である。そのことは常に思っていて当時もそれがよぎった。

「シモキタ・ヴォイス」のイベントは、既に補助54号線・区画街路10号線・駅周辺地区地区計画の事業認可が下りた時期に、我われは何を一般住民や社会及び報道に働きかけ得るのかといった、緊迫した状況下での開催だった訳で、出席者全員が即興の極意の持ち合わせが無いのは当然であるが、どんな発言が飛び出すか判らないといったスリリングも含めて、シンポジウムを盛り上げるためにも事前の打ち合わせなどしない方が良いと判断した。そして全く打ち合わせ無しでシンポジウムに臨んだのだった。依って、そんな期待と数倍の不安を抱えて、決して司会進行がうまくいった等とは思わなかった。

今回収録した当日の映像を文字起こしするに当って、そのことをまざまざと思い起こされ各パネラーの発言に二度目の新鮮さを味うのだった。下北沢を愛するパネラー各人のそれぞれの専門分野から下北の街を素直に語り、他の街との比較を語り、行政の街づくりをあからさまに語り、面白い(注。正しいではない)音楽のように客席とインタラクティヴ出来たかどうかの結論は出ずとも、本音と性格を丸出しにした一時間半だったと思った。「ショッピング・モールやシネコンが文化だと日常的に錯覚している人も多いと思うけど、行政はそれを(大会社と共に)主導していく傾向にある」と、東大大学院情報学環学環長の吉見教授は発言した後、「まさかそんな方はこの場には居ないと思いますが?」などという客席への投げかけは快哉という他なかった。

街は権力者や誰かの手によって意図されて作られるものではなくて、生活者たる住民の視点で作られていくものだし、ゆっくりと自然発生的に風俗から派生して、文化、そして思想へと構築されて街は成長を遂げる。その生活文化が基礎となって積み上げられていくという観点に、全員一致で集結を見たようだった。そしてシンポジウムは自然発生的に終るべくして終った。我らの季節が終らない前に、又始めるために、終った。

(大木)

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