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シモキタボイス シンポジウムの記録

【Symposium6】 8月15日(水)14:00-15:30

エンディング・シンポジウム
シモキタの未来図を描く ―― 魅力ある街とは・駅前広場のあり方は?

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高橋 : 下北沢には4つ大きな商店街があるのですが、どんな経緯があってさきほどのプランを作ることになったのかを関根さんに話していただきます。

関根 : そもそも小田急線の工事について、15年以上前から地下化か高架化かということで地元商店街は、「地下にしてほしい」「ガード下になるのは困る」「井の頭線より高い高架では困る」という話をしていました。それでは、地元としてどんな案がいいか、我々の案を出そうということになって商店街の人たちも一生懸命になった。連続立体交差事業では道路がセットになっていると聞いていました。地元では、「ともかくシモキタの特性は失いたくない」「交通広場は欲しくない」ということで、小規模な交通広場で事足りるのではないか。大きな交通広場はいらないと考え、こうした案になった。
 開放された広場は歩行者のためのものにして、跡地も歩行者が基本的に使い、なにかがあったときは緊急車両が走ってもいいというものにした。地区内は基本的に歩行者優先。この案は、「街づくり懇談会」という商店会の代表とか町内会の方とかが集まったところに出されたはずですが、公の場でこの案が俎上にのせられたことがない。地元の商店会としては、行政から補助金の話などを説明され、54号線計画も含めて、泣く泣く飲んだという形になりました。

高橋 : 地元の商店会の方たちも一生懸命いい案を考えたけれど、泣く泣く、こうしたことになったという経緯があったということですね。

関根 : 商店街だけでやっていました。地域を巻き込むということはなかったです。

高橋 : そういう残念な歴史があったということですね。では、今現在、駅前市場のなかでご商売を営んでいる笹川さんにお話を。


笹川 : 大阪生まれなのですが、22年前に東京に出てきてすぐシモキタが気に入って住むことになった。マーケット(駅前広場)があったからですね。転々としながら、東京で映像の仕事もしながら、今は自分が好きな駅前市場でラーメン・飲み屋をやっています。

会場風景  夢を語ってくれということなので、友人に絵を描いてもらいました。(プレゼンテーション資料で見せながら)現在のマーケットの絵です。「うさや」は映画で使ったお店をそのまま使ってすごい流行っています。これは、古い画材屋さん。萩原朔太郎もここで買ったという古いものです。豆専門の店、これもすごい古い。こういうのを残したいなと。つい最近できたカレー屋さん。ネパールの人がやっていて国際的なカラフルな店です。アメリカ屋さん、昭和26年からやっていて、掘り出し物があったりして、いろいろな人がきてます。最近入り口あたりにできた立ち飲み屋さん。活気が出ていいですよね。東京では立ち飲みがはやっていますけど、うちの商売敵でもあるのですが、ここからお客さんが流れてきてありがたい。これは、貝専門店。しじみやあさりや牡蠣やほやがある。ここも古い居酒屋です。2000円くらい払ったら歌えるカラオケスナックのような感じです。隣は若い子が経営しているお店です。キャンプなんかも企画して、楽しくやっていますね。

会場風景 うちは「三好野」ですが、一代目はテイクアウト専門のおすし屋さんでした。その後、カレー屋になって、それから飲み屋になった。そのときの主人が仕事が終わってから飲みに行くものだからオープンの時間がだんだんずれこんでいって、9時になり、12時になり夜中の3時になり、5時になり、今は朝の7時にあけているのですが、そうやって、夜は閉まっていた。そこに僕が客として行き、「では夜は使わせてくれ」と、ほんと狭いカウンターの店なんですが、女性一人でも飲んでいたりします。からむ客は僕が追い出します。マーケットの中は、畳んでしまった店舗もあるので歯抜け状態ですが、僕の夢としては、1階にこうした店を凝縮して、今マーケットの中で使っているカウンターだとか木材をはめていくことができないかと考えています。

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