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シモキタボイス シンポジウムの記録

【Symposium6】 8月15日(水)14:00-15:30

エンディング・シンポジウム
シモキタの未来図を描く ―― 魅力ある街とは・駅前広場のあり方は?

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高橋 : 先ほど「明治大学案」で「駅前市場のDNA」という言葉がでていましたが、やはり下北沢を象徴する場ですから、なんらかのかたちで残していくことも可能なのかなと思いました。

 これまでの発表を聞いていただいて、今までなかなかうまくいかなかったこともあるわけなんですね。これまでの経緯には、いろいろなことがある。みんなの思いが世田谷区に届かなかったこともあったかなと思うのですね。また、これから残したいものについても、さまざま議論があった。小田急線の地下化のなかでどうしようもなく街は変わっていくということも受け止めなければならない。小田急線の地下化、駅前、駅舎のことを含めて、これからいやおうなく変わっていってしまうことについて、わたしたちはこれから考えていかなければならない。
 NY市やパリ市で、鉄道跡地を有効に使うことができるとわかって、アーティストから運動が始まりました。今年の夏に取材をしてきたのですが、パリ市では、跡地に職人を住まわせるスペースを作るトータルプランをたてた。そういうことも含めて、世田谷区もこれからのことは考えていけるのではないか、市民も考えていけるのではないかということで、これからのことについて田中さんお願いします。


会場風景

田中 : 久しぶりに心臓がぱくぱくしています。血圧が低いほうですが、だいぶあがっています。
 金子さんとは友人なんですが、さすがにこの問題では立場が違うこともあって、あまり話すこともなかったのですが、一月くらい前に携帯に電話がかかってきて、正直なところ、「あ〜やだ」と思ったのですが、「わかった、野田さんに会うよ」って言いました。
 野田さんが来てくれて30分くらい話しました。僕の感想として、「いい人だなあ」と思ったのですよ。実は、僕は直接この問題に関わったことがなかったの、皆さんと話をしたことがなかったのですが、噂では、ある場面においてもとても過激ですごい連中だぜということを聞いていた。ここに来るに至っても、「だいじょうぶ?」というより、「気をつけてね」と言われた(笑)。一方では、「あいつは話しすぎるから気をつけろと言っておけ」ということもあったかもしれません。

 僕はまちづくりを20年以上やっているんですが、今は、都市計画課で都市計画係長をやっていますが、15年前に都市計画課にいて、いったんほかのところにもいってまた戻ってきたんですが、戻ってきてびっくりしたのは、都市計画法が変わっていたことです。
 昭和45年頃から都市計画法ができて、これは今回一番言いたかったことで周りの職員にも言っているんですが、都市計画法に3条3項というのができた。昔は、1項と2項しかなかった。1項というのは、都市計画をやる地方公共団体はしっかりやっていかないとダメなんだよというもの。2項は、地方公共団体がやるのだから住民もそれにしたがって自分たちのちゃんとやらなければいけないのだよというもの。
 平成12年の都市計画法の改正で3項ができて何が加わったかというと、都市計画は難しいのだから、国や地方公共団体はちゃあんと住民に都市計画の情報を伝えないといけないよという条文が加わった。
僕は世田谷区役所に勤めていますから、国や都の職員ではないので都市計画を作るということはめったにないんですね。もう出来ていますから。で、それを変えていく、造っていくというときに、都市計画というものをいかにわかりやすく住民に伝えるかということをやっていかないといけないと職員に言っているのですよ。

会場風景 僕は今、初めて皆さんが考えたという案も見たんですね。いろんな知恵があるんですね。高橋さんは、泣く泣くそれが認められなかったとか行政が見てくれなかったとおっしゃっていて、直接、行政に持って行ってもダメだったということだと思うのですが、でも、まるまるそれがダメだったということではなくて、そこに書いてある知恵がこれから世田谷区がやっていくことに生かされないとしたら、それは、賢くない行政だと絶対に思われる。
 では、それをどうやって取り入れていくのということは大きな課題で、ここからは、個人的意見になる。個人的意見とはいっても区の職員だから、聞く人が聞けば区の意見だと思われるかもしれない。それは、どう思ってもらってもいいのだけれど、今回、足りなかったのは話し合いだと思う。フォーラムはフォーラムでそれを作った人たちはすごく話し合いをしているだろうと思う。もちろん、この計画に賛成している方もおられて、その方たちも何十回となく話し合っていると思う。
ところが、じゃあ、色々な意見が交じり合って色々な話し合いができたのだろうか、知恵が交じり合って語り合えたのだろうかというところは、きっと足りないだろうなということが僕の個人的な意見です。これまで色々な人の話を聞いてそう思うんですね。街づくりというのは、基本的に、僕は黒か白しかないと思っているんですよ。

たとえばね、サクラの木が5本あって、マンション建設で切るといったときに、「切るな」という人がいる。「サクラなんて寿命30年なのだから、切ればいいじゃない」と言うと、「そうじゃない、これは5本とも残さないといけない」という人がいて、なんだかんだ話し合った結果、2本残して3本切って、3本植えると決まった。そのときにどう思うかというと、反対している住民は「いやあうまくいかなかった、失敗だ」と。やろうとしている人間は「2本残しちゃったよ、なんで全部切れなかったのか」と。やっぱり、白と黒になってしまう。
 ただね、その話し合いがどういう風に進んだかによると思うのですよ。最終的には、話し合ったから「全部残せただろうけれど、まあ2本残せたからいいか」といって終わるのか。「もうこれは失敗だ、裁判起こそう」というのでは全然違う。結果の前のコミュニケーションというのがあって、街づくりがあるということだと思うのですよ。

 だから、今の都市計画というのは「街づくり」という言葉を使うのであって、結局、結果なのではない。それまでにみんなの思いがどれだけ語られたかということなのではないか。最後までやっぱり壇上に上がってまで反対する人もいると思います。でも、そうではない人のほうがほとんどではないかと。それが、野田さんにも会うことになったきっかけで、ここに僕が上がったのも、何の責任もとれないけれど、これまでの経験で言えることがあればと思ったし、いちおう区の職員だから、今日、こんなことを言ってきたよということを伝えることもできるかなと。言いたいことはいっぱいあるけれど、言いたいことを言ってしまうと怒られるので、これくらいにしておきます。

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